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記事中では、その他にも私の考えをとてもわかりやすくまとめていただきました。日本医療企画社に許可をいただき、記事を掲載します。職員の皆さんに、ぜひ読んでもらえればと思います。

リーダーの肖像

医療法人社団 健育会 理事長・CEO 竹川 節男

質の高い医療を提供し続けるため
経営の仕組みづくりを推進

1995年の理事長就任当初から、医療の質を高めるために「経営の仕組みづくり」に着手。 グループのミッションを掲げ、さまざまな方法を通じてそれを各病院・施設の現場職員に浸透させることで、質の高い医療・介護サービスを継続的に提供することのできる体制をつくっている。

良い医療をして利益を出す
この思いが経営者としての出発点

9カ所の病院を中心に、診療所、介護老人保健施設、グループホーム、有料老人ホームなどさまざまな医療・介護サービスを提供する健育会グループを1995年から率いてきた竹川。理事長に就任した当初から取り組み始めたのが、経営の仕組みづくりだった。

今でこそ質の高い医療を継続して提供するには、経営が不可欠であるとの認識が広まっているが、当時は、「経営=金儲け」と思われていた時代。そうしたなかで竹川が経営の仕組みづくりに着手したのは、健育会の創設者である父による影響が大きかった。

竹川の父は53年に竹川病院を設立、さらに65年には熱川温泉病院を開院した。小学生だった竹川が見ていたのは、2つの病院の経営を担いながら臨床も、現場の管理も一手に担う父の背中だった。
「当時から父は私に、『経営は大事だ』と話していた。しかし父自身は人手不足もあって自らプレーヤーとして臨床を行いながら飛び回っていた。その頃から、理事長は法人全体の方針や方向性を示す役割に専念し、各病院の管理は各病院で実施し、本部がそれをバックアップする体制が必要だと感じていた」と振り返る。法人として3つ目の西伊豆病院のオープンにあたって、竹川自らが開設準備とその後の運営管理、診療を担ったことでその思いが実感となった。

もちろん、経営の仕組みづくりは最初から順調に進んだわけではなかった。父の代からの古参の職員のなかには反発もあり、孤軍奮闘の時期もあった。その頃の竹川を支えたのは、「良い医療をして、利益を出す病院をつくる」という熱い気持ちだった。

同時に竹川は経営について学ぶべく、経済同友会に医師として初めて参加。尊敬する元富士 ゼロックス代表取締役社長の故・小林陽太郎のすすめによるものだった。「当時は『経営を学ぶなら経済同友会に入りなさい』と言われた意味がよくわからなかった。今になってみると、経営を学ぶということは、本物の経営者に接して、人となりを知ること。ここで出会った本物の経営者からはたくさんのことを吸収した」と振り返る。

竹川が経営において重視していることの一つが、事業計画だ。現在、同グループでは各病院で数値目標と質の向上計画を年度ごとに立て、その計画どおりに進んでいるかを毎月管理している。事業計画を立てるにあたっては、各病院の経営を担うマネージングディレクターが作成した原案をもとに、竹川と本部職員が、組織の方向性や前年までの実績など豊富なデータを踏まえて指摘・アドバイスを行い、修正。2カ月ほどをかけてつくり上げていく。
「現場の状況や課題を把握しながら、グループの進むべき方向に導くためのすり合わせが必要になるので、時間をかける。そして、計画が決まったら、その数字とズレがないかを日々チェックすることで管理を行っていく。基本的なことではあるが、非常に大事だと思っている」と竹川は話す。

竹川理事長

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