Vol.352 2026年度健育会グループ新入職員中途研修を実施しました

民間病院の強みを広げるべく、私は医療従事者として初めて公益社団法人経済同友会への入会を決めました。そこで医療改革委員会の委員長に就任し、「民間病院だからこそ成せる強さ」の実例を出すことに力を入れました。
健育会グループの取り組みは多くの表彰を受けました。そのなかの一つであるEPA(経済連携協定)に基づいた海外からの医療従事者の受け入れは大きく評価され、2013年9月には、当時の天皇皇后両陛下による行幸啓にケアポート板橋をお選びいただきました。

また昨年7月には、日本経済新聞のコラム『Deep Insight』に健育会グループの取り組みが掲載されました。私が理事長に就任した当初から取り入れていた医経分離の「ツートップ制」を例に挙げ、工夫次第でよい医療を目指せることを実践で示した、と述べられています。

このように健育会グループは民間ならではの力を惜しみなく発揮し、多くの評価を得ながら「光り輝く民間病院グループ」の実現に邁進してきました。

ではここで、民間病院と公立病院の力の差が明確に分かる事例をご紹介します。
今から15年前、東日本大震災で石巻港湾病院(現:石巻健育会病院)が甚大な津波被害を受けました。幸いにも津波による患者さんの被害は出ませんでしたが、電気、ガス、水道といったライフラインはすべて途絶え、国からの支援も得られない窮地に陥りました。

本部から救援に向かった部隊と連絡が取れてからは、健育会グループの職員が率先してボランティアで支援物資を届けました。健育会グループ全体で迅速にサポートを行った結果、石巻港湾病院はわずか半年で通常の診療ができる状態まで復旧を果たしました。

しかし、津波の被害に遭った患者さんや職員の心の中には「また同じような津波が来るのではないか」という不安が残りました。そこで私は、津波の心配がない高台に病院を移転する決断をし、2015年には名称を「石巻健育会病院」に改め、新しい施設を立ち上げました。
このスピード感とチャレンジ精神、そして職員たちの強固なチームワークがあったからこそ、私たちは震災の逆境を乗り越えることができたのです。

その一方で、同じく被災した石巻市立病院が選んだ道は病院の閉鎖でした。公的な支援を受けながらも、震災からわずか3日で復旧を断念したのです。患者さんは自衛隊のヘリで搬送され、だれもいなくなった病院から、医師や看護師たちは徒歩で去っていきました。

石巻港湾病院がグループ全体の支援によってわずか半年で完全復旧を果たしたのに対し、石巻市立病院は閉鎖という道をたどりました。この決断力や対応スピードの違いこそが、民間病院と公立病院における決定的な力の差だと私は考えています。
健育会グループと石巻市立病院の復旧における格差は、医療専門誌『医療タイムス』でも取り上げられました。

東日本大震災でのいわき湯本病院の復旧についても述べておきたいと思います。いわき湯本病院は内陸部に位置していたため、津波による直接的な被災は回避できました。しかし、原発事故に起因する風評被害によって街から人々の姿が消え去り、国による給水車の巡回が途絶え、診療を続けることが困難な状態となりました。

そこで私たちは健育会グループ独自のネットワークを最大限に活用し、静岡県から15トンもの水量を誇る給水車を手配して現場へ届けることに成功しました。ここでも、民間病院ならではの機動力と最後まで諦めない強い意志が、試練を乗り越える大きな原動力となったのです。